価値のないもの、つまらないもの。
写真ができて、絵の価値が変わってしまった。
写真通りのリアリティのある絵は、価値がなくなり、写真では表せない絵が、価値を持つようになる。
ネットが普及して、誰もが勉強することが可能になると、教えるという価値が下がる。
ネットを利用して、教える。ということには需要がある。
学校の先生は勉強を教えているのか。生徒を管理するだけで大変そうだ。尊敬とは無縁の存在と思うものの、
尊敬してる人もいるよね。先生も生徒を選ぶから。先生を尊敬しない生徒なんぞは存在を否定され、存在しないということか。
紙という情報もあふれてしまって、価値はなく、プロマイド、ポストカードは、やはりいらない。
学歴も価値が下がり、技術の価値も下がる。
たぶんもう、なんでも、物を作るのをやめたら、文章書くのをやめたら、写真撮ることを辞めたら、それを発表することを辞めたら、
それが、価値のないものだとしても、そこで終わり。もう社会からは取り残される。
社会を否定してはいけない。これは正しい。歴史も、不条理も。
過去のものはいくらでも誰でも学べるのだから、新しい物を作っては、消費するだけに価値がある。
簡単に学ぶことを求め、ちょっと面白い、新しい物を探すだけの消費者。10分の時間をつぶすだけ。
それは、きっと昔からそうで、ずっとかわらない。
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