それをどうやって知りえるのか?
常識は人によって違うし、ところによっても違う。
しかし、それは新しく来たものにきちんと伝えることはない。
よほどの人でない限り、それを教えようとしないし、
わかるように教えることはできない。
それは、大体の場合は意地悪ではなく、
自分の知ってることは、相手も知ってると思っているためである。
仕舞を習いに行ったときに、ほとんどの能楽師は素人に
扇の持ち方を教えない。
物心つく前から、扇を持っていた者が
素人が扇が持てないとわからないからである。
新しい職場の先輩は会社のことについて教えないし、
親は子供に、社会について教えない。
結局は、恥をかいて痛い目にあって、自分で学んでいくか、
わからないことを、うまく説明しないと学んでいくことはできない。
頭のいい人は、頭がいいのね、すごいね。
って言ってほしいだけになっている。
自分の威厳と立場を守るために、それも必要。
それを、なくすることを異様に恐れている類の人もいる。
ほんとうに、すごいだけの人は多い。多分いつか飽きられる。
学ぼうとするものが、何が分かっていないのか、
何を問題としているのかを、わかって、
教えられる、そういう知識を持ちたい。
また、自分が何がわからないのか、知りたいのか、うまく伝えられる
ようになりたい。
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