自分の嫌いな自分を考える。
最近は考えないが、そもそも私は自分が嫌いであったはず。
世の中には自分が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
私は、自分のことが嫌いな人種である。
何故か・・・少なくとも生まれてきた私の存在そのものが、人を不幸にしたからである。
私一人の生命のために、犠牲になったこと・・・
誰も直接には言わない。私には秘密のこと。
人の言葉の端々と、物事の時系列、不穏な影に怯えた幼少期。
言ってはいけない事、聞いてはいけない事。
私が気楽になったのはそこから離れたことだ。決して囚われる必要はないということ。
私に対して、何かを言う人もいないし、もうずいぶんと昔のことになった。
結局、自分嫌いを克服するには、それを超える精神力か、
自分を好きになるかしか、ない。
自分嫌いの自分を殺して、自分を好きにする。
自分殺しの殺人者として、生きていくわけだな。
結局自分嫌いという人種は、何かにすぐ没頭したり、
すぐに他人の影響を受けたり、すぐに自分がなくなってしまう。
そんな、自分嫌いの自分を再認識して、大切にする必要がある。
どう考えても、それが私なのである。
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