表現者として。
私は約六年前に自ら物を創るという行動を止めてしまった。
それ以降はたわいも無い文を書いたり、ちょっとした落書きを書いてみたり。
何故止めたかというと、物を創ったり、文を書いたりする事は、非常に大変で辛い作業で、まるで死を纏って生きているようなそんなときもあった。
それまで、芝居は私を裏切らないと思っていた。過信しすぎた。
ちょっとした、空回り。どうしようもない絶望と、恐怖で三日くらいベッドで泣いて過ごしたが、楽な人生を歩むには格好の転機となった。サッカー選手でいえば、引退みたいなものだったのかもしれない。それはいい引退ではなく、ゆうなれば怪我での引退のような感じだ。
芸術的なものか、社会的貢献の高いものか、どちらでもいいのだが、基本的には人は物を創って、表現して、人に何かを与えて、生きることが理想だと思っている。
すべての人が表現者であるわけじゃないし、創作者で、あるわけじゃない。ただ、できるものはそこを目指さすという事が課せられている。
今の私にできるだろうか。
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